豊かな水、織りなす風光

かつて険しい渓谷だった

冬化粧した戦場ケ原を蛇行する湯川が、中禅寺湖へと向かう(ヘリから撮影)

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 山、川、湖沼、滝、湿原…。狭いエリアにたくさんの自然美が密集している奥日光の景観をあなたは不思議に感じたことはなかったでしょうか。あなたの生前には明確に分かっていなかったこの地が出来上がった経緯が、この半世紀の科学の進歩で、説明できるようになってきました。

 

 かつてこの地は、非常に険しい渓谷でした。谷あいを縫うようにして、後に今の大谷川や湯川になる「古大谷川(こだいやがわ)水系」が流れていました。

 約2万年前。成長を続ける男体山から流れ出した溶岩が川の流れをせき止め、水がたまって巨大な中禅寺湖が形成されました。あふれ出た水が溶岩壁から流れ落ちた場所が華厳の滝です。湖の最大水深が163メートルにも及ぶのは、元の地形が急峻(きゅうしゅん)だったことの裏返しともいえるのです。

 中禅寺湖の北側には、一緒に誕生した湖がありました。しかし約1万7千年前、男体山の大噴火で噴出物(軽石流)が流入。その後、乾燥化して湿原となりました。これが今の戦場ケ原です。  男体山に限った話ではありません。湯元地区の三岳(みつだけ)(1945メートル)は約6千年前の噴火で湯川をせき止め、湯ノ湖や湯滝を形成。金精峠の先に点在する沼も日光白根山(2578メートル)の噴火によるものです。

 そもそも奥日光は、火山の多さで知られています。宇都宮大名誉教授の中村洋一(なかむらよういち)さん(火山学)は「男体山や女峰山のように複数回の噴火でできた成層火山の他に、1回の噴火で形成された小型の火山が多数集まっているのが日光火山群の特徴。これは、地域の地盤構造の特徴に由来すると推定できる」と説明します。

 

 溶岩や火山灰が固まってできた場所には宿命があります。強度が弱いため水の流れなどで地形が削られやすい、つまり浸食されやすいのです。  例えば華厳の滝は、落ち際の岸壁の崩落が繰り返され、約800メートルも中禅寺湖に近づいてきたと考えられています。欧州を思わせる緩やかな渓相であなたを魅了した湯川も例外ではありません。湯川の蛇行は元の地形に点在していた深い場所を結ぶように水が流れたことが始まりだそうです。川岸の浸食が進めば、湯川もゆくゆくは真っすぐな川に変わるとみられています。

 豊かな水環境が織りなす明媚(めいび)な景色は私たちの心をつかんでやみません。これは地球の営みと悠久の時の流れが与えてくれた恵みといえるのです。




グラバーメモ

■男体山の噴火史

 男体山(2486メートル)の噴火史は、火口湖の跡や小規模噴火の堆積物の発見などにより、ここ10年で大きく塗り替えられた。

 直近の研究によると、男体山は約3万年前に出現し、約2万3千年前~約1万9千年前の活動で今の円すい形の山容がほぼ形成された。約1万7千年前には極めて大規模なマグマ噴火が起こり、溶岩流や火砕流が発生。大量に噴出した火山灰は茨城県沖の太平洋に達した。

 従来はこの年代が不確かで、最後の噴火とも考えられてきた。しかし富山大の石崎泰男(いしざきやすお)准教授(火山学)が山頂火口部の地質を調べた結果、約1万4千年前~約7千年前に起きた6回の小規模噴火を確認。火口湖の痕跡も突き止め、湖の水とマグマが反応し噴火が続いた可能性を指摘した。石崎准教授は「(6回の)噴火規模は徐々に小さくなった」と分析し、現在までの約7千年間は男体山は活動を停止している可能性が高いと結論付けた。

 一方で気象庁は「おおむね過去1万年以内に噴火した火山」を活火山と定義しているため、石崎准教授の研究で、男体山の追加指定も取り沙汰されるようになった。