制限続くマス釣りの聖地

あの事故から5年 伝えたい今

男体山頂付近から望んだ中禅寺湖は“黙”の世界。湖とは対照的な表情を見せる上空の風雲

拝啓 トーマス・ブレーク・グラバー様

 

 奥日光を愛してくれたあなたに、伝えたいことがあって筆をとりました。私たちが後世に語り継ぐ責任を感じていることです。でも月日が経つにつれて、そのことに対する人々の関心は薄れつつあります。

 

 中禅寺湖であなたが夢中になって魚を追っていた日々から、早いもので1世紀が過ぎました。魚の種類が増えた今は「マス釣りの聖地」と呼ばれていて、毎年大勢の釣り人が日本各地から訪れています。

 ただ、当時はなかった厳しいルールができました。釣り上げたマスを誰も食べられません。持ち帰ることすら許されていないのです。

 きっかけは5年前。

 湖から約160キロ離れた福島県内の発電所で事故があり、有害な物質が大量に放出されました。東北や関東の広い範囲で地上に降り注ぎ、中禅寺湖の水や泥、あらゆる生き物にも取り込まれました。「体に悪影響があったらいけない」と、国の指導で翌年の春から魚を捕って食べられなくなってしまったのです。

 一方で奥日光には、あなたが滞在していた時代に通じる景色も残っています。

 避暑地として注目されていた湖畔には今も外国人旅行者の姿が目立ち、大使館の別荘もあります。当時人気が高かったヨットやボート遊びは日本人によって引き継がれました。男体山は信仰の対象として大切にされ、滝や森林といった自然も人々を魅了してやみません。湯川ではあなたが放流したマスの子孫が元気に泳いでいますし、戦場ケ原に代表される湿原地帯は水鳥の生息に重要な場所と認められ、国際的な条約に登録されました。

 実は30年前、東ヨーロッパのある国で稼働していた発電所でも悲惨な事故が起きました。福島とほぼ同じ有害物質が海を越え、約2000キロ離れたあなたの古里にも降りました。いまだに欧州の多くの国に爪痕が残っています。日本でも汚染と長く向き合うことになるでしょう。

 この冬は暖冬のようです。元日に麓から見上げた男体山の頂には雪が少なく、茶色い岩肌がはっきりと確認できるほどです。

 福島の事故から5年を迎えることし、奥日光から、今を報告します。みんなに知っていてほしい。そして、あなたと同じように奥日光を愛してほしいから。




グラバーメモ

■奥日光との出会い

 明治期の産業革命に貢献し、「日本近代化の父」と評される英国スコットランド出身の貿易商トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911年)。昨年7月には長崎市に残る住居「旧グラバー邸」の世界遺産登録が決まり、激動の半生や人物像にも注目が集まった。

 しかし奥日光に滞在した史実は県内でもあまり知られていない。

 1880年代後半、豊富な経験や人脈を買われて三菱財閥の幹部社員となったグラバーは、長崎から東京に拠点を移したとされる。

 そのころ、在留外国人の間で中禅寺湖が避暑地として注目され始めていた。英語の旅行ガイド本にはマス釣りができると紹介された。

 英国では昔も今も「釣りは紳士のたしなみ」と言われる。グラバーは89年夏、51歳の時に初めて中禅寺湖で釣りをしたとみられている。その後は湖畔に別荘を建て、夏になると釣りに明け暮れた。