義捐(えん)金の募集記事が掲載された1923年9月15日付本紙

 1923年の関東大震災から9月1日で94年。栃木市柳橋町、無職富沢哲雄(とみざわてつお)さん(74)はこのほど、大震災直後から約1カ月後までを報じた下野新聞の号外と本紙合計35部を下野新聞社に寄贈した。このうち6部は本社や県立図書館にも残っておらず、大震災直後の県内の動きをたどる上で貴重な史料と言えそうだ。

 寄贈されたのは9月3、14日の号外計4部、9月3日~10月5日付(9月12、13日付を除く)の本紙計31部。

 本社、県立図書館にも未収蔵の6部は9月14日の号外と同15、16、22、30日、10月2日付本紙。「大震災義捐(ぎえん)募集」(9月15日付)と義援金や物資提供を呼び掛けたり、「避難民総数二万二千九百」(10月2日付)と震災1カ月後の県内各地の避難者数をまとめたりした記事も含まれる。

 9月3日の第1号外は縦13・5センチ、横40センチの表面のみ1ページ。当時の新聞の4分の1のサイズで、「言語に絶するの之惨状」などの見出しで、被害続報を端的に伝えている。同日の第2号外は裏表計2ページで「死者十万負傷十万」と震災の全容を報じるようになった一方、「不逞(ふてい)鮮人各所に潜入」と、被災後の混乱の中で在日朝鮮人を巡る流言に影響されたとみられる記事もあった。

 富沢さんの父輔一(すけいち)さんは震災当時、東京の古物商へ見習いに出ていた。被災後すぐに郷里の栃木市に戻り、後世に伝えようと新聞を残しておいたという。富沢さんも遺志を継ぎ、自宅で箱に入れて大切にしてきた。紙面に破れや汚れなどは少なく、保存状態は良好だ。

 ただ自身も高齢となり「個人で保管するには限界がある」と、自宅の建て替えを機に寄贈を決めた。富沢さんは「防災を考える史料として後世に引き継いでもらえれば」と願っている。