濱田庄司の窯について、笠間焼の関係者に説明する濱田友緒さん(左)

 【益子】人間国宝濱田庄司(はまだしょうじ)(1894~1978年)が愛用した益子参考館の登り窯に来年2月、再び火が入る。約40年ぶりに炊かれて以来2年ぶり。復活2回目は地元のほか、益子焼の由来とされる茨城・笠間焼の作家にも出品を呼び掛け、22日に説明会を開く。隣り合う益子と笠間の陶芸家は計約700人おり国内有数。切磋琢磨(せっさたくま)しながらも一体となり作品を焼き上げることで、各作家や焼き物文化の飛躍を図る。

 1万点以上を一度に焼ける庄司の登り窯は幅約5メートル、長さ約16メートル。1943年に築かれ、没後は展示物となった。東日本大震災で全壊したが、国内外から寄付を募り13年、復旧した。

 初の「濱田庄司登り窯復活プロジェクト」は15年、ガス窯、電気窯が広がり使われることが少なくなった登り窯の伝統を受け継ぎ、益子焼の原点を見つめ直そうと、陶芸家ら約100人の約5千点が焼成された。

 2回目も陶芸家らの実行委員会が手掛け、庄司の孫で参考館館長の友緒(ともお)さん(50)が会長を務める。

 特徴は笠間の作家にも出品を呼び掛けることだ。益子焼は1800年代に笠間焼を学んだ陶工が陶祖とされる。友緒さんは大震災からの復活に主眼があった初回を踏まえ、「2回目は歴史や由来を掘り下げたい。益子と笠間はかつて張り合っていた部分があったが、大震災で傷つき手を携えて、焼き物を考えるようになった」などと強調した。

 詳細はプロジェクトのホームページ。(問)参考館0285・72・5300。