発掘された経石。墨で法華経が書かれている

 【高根沢】宝積寺の道路脇にあった塚が、約2千個の河原石にお経を書いて埋めた「礫石経塚(れきせききょうづか)」であったことが6日までに町教委の発掘調査で分かった。造立は江戸時代後期の1793(寛政5)年で、過去に掘り返された様子もなく、積まれた経石がほぼ当時のままの状態で見つかった。専門家は「発掘調査で構造が明確となった例として、学術的にも貴重だ」と評価している。

 塚があったのは、宝積寺会橋久保(かいばしくぼ)の町道脇。畑地内に直径4メートル、高さ1・7メートルほどの盛り土(塚)があり、「念佛一億万遍供養塔」と彫られた自然石(高さ95センチ)が立っていた。

 町道の拡幅工事に伴い、町教委が今年2~3月に発掘調査を行ったところ、塚の内部に平面が縦1・4メートル、横1・7メートル、高さ40センチの方錐(ほうすい)状に石が積まれているのが見つかった。

 調査に当たった町文化財専門員の石橋知明(いしばしともあき)さん(65)によると、石は5~15センチほどの平たい河原石で、表裏に墨で法華経が書かれていた。経石は全部で1978個あり、1個当たりの文字数は20~100字。文字数はおよそ7万字になり、複数人の書体があった。

 石橋さんは「塚は黒土で固められ、一度も掘り返された様子がなかった。経石は一つの石に1字を書いた『一字一石』の例が多く、このような『多字一石』は珍しい」と話す。