【壬生】壬生藩主を務めた鳥居家の祖元忠(もとただ)(1539~1600年)が伏見城で自刃した際の血痕が付いた畳を写生したとみられる図が、町歴史民俗資料館の調査でこのほど確認された。元忠を祭る本丸1丁目の精忠(せいちゅう)神社境内には、元忠の血で染められた畳を埋めたとされる畳塚が残る。畳を埋めた経緯が書かれた説明文も発見された。

 史料は鳥居家の菩提(ぼだい)寺である同所の常楽寺で発見された「伏見城畳之図」「御畳并塚ノ事」の2点。畳之図は、元忠が関ケ原の戦いの前哨戦・伏見城の戦いで城を守り自刃した際に敷かれていた畳を写生した。2畳並べて置かれた畳の中央に残った血痕が描かれている。畳は長編が6尺3寸(約190センチ)、厚さが2寸3分(約7センチ)だったことなども書かれており、記録用だったことが分かる。

 御畳并塚ノ事は、旧壬生藩士大島正房(おおしままさふさ)が1884年に記したもの。1878年に壬生藩7代目藩主忠宝(ただとみ)の邸宅に塚を築いて埋めたと記録されている。

 畳之図などの史料は同資料館で4日から始まる企画展「鳥居元忠 山城伏見ノ別レ」で展示される。同展では1933年に町内で行われた武者行列を記録したフィルム映像の上映などもある。